官憲に火炎放射器を持たせステイホームを求めるといった明らかに法と強制の話題に乗っかってきそうな事例が耳目を集める一方で、シャウアーが The Force of Law (2015)で論じていたような非強制的手段(例えば「公表」)の活用、おなじみアーキテクチャやナッジ(選択アーキテクチャ)があふれる中で、長く考えられるべき問題はなんだろうか…といったことをウンウンエイヤッとまとめたため、ちょっとした社会情勢の変化では吹き飛ばない…かは分かりませんが、しばらくは読んでもらえるに値するものが書けたのではないかなと思います。
この本の見どころを著者自ら挙げることで読書体験を限ってしまいそうですが、著者としてここは…というところがあるとすれば、第一にそれはノージックの「強制」研究です。ノージックの業績といえば、その著書『アナーキー・国家・ユートピア』の正義論への貢献か、Philosophical Explanations (Harvard University Press, 1981) における認識論へ貢献(Gettier問題関連)が想起されるところです。とりわけ前者との関係で、<どのようなときに提案は強制(脅迫)になるのか>という問題についても彼は一家言あり、Stanford Encyclopedia of Philosophyの‘Coecion’ (「強制」) 項目でも一つのターニングポイントとして取り上げられています。…まあ、拙著『法と強制』は、わけあってノージック説は採用しないのですが。
もう一つ。シャウアーのThe Force of Law以外の本ももっと読まれるとよいな、という気持ちもこもっています。シャウアーについては那須耕介先生の先行研究でしっかり紹介・検討されていますし、シャウアー自身の書いた多くの論文がSSRNで公開されているため、読もうと思えば読めるのですが、やはり日本語でアクセスできるのが大事だと思います。 (彼の著作については一本だけ翻訳を見つけました。) 私の本がそんなにすごいインパクトになるかはわかりませんが、シャウアーの言っていることが面白いと思ってくださる人が増えたら嬉しいです。『法と強制』は、シャウアーのThe Force of Lawもまた支持しないのですが、実効性確保のために何ができるかに振り切っている点で色々と考えさせられる興味深い本だと思います。
* 「法の武器庫」:Frederick SchauerのThe Force of Law (Harvard UP, 2015)の第9章 “Coercion’s Arsenal”を参考にした表現で、若手哲学フォーラムでの研究報告で使った。同じワークショップの報告者のみなさまの手でXに残していただいたり、ブログ記事に使われたりして、一部でミーム化している。今回の本でもちゃんと索引に入れた。